選択の基準。それから守破離。

将来的な考えなどの理由は後付け出来る訳で、自分の過去の選択に自分の価値観がある。ってな考え方を知ったので、一度自分の選択の基準ってものを考えてみた。

 

自分が選んできたときに基準となったのは、面白いか、質・内容、オシャレかってところかなって思う。

んで、ちょっと違う切り口なら、他と違うかどうか(先物とか奇抜さ)だと思う。

 

なんで私はこういう選び方をしてきたのかなって考えたら、多分自分の(存在)価値を他人に認めてもらいたい、自分のセンスや能力を認めてもらいたかったんやと思う。

こいつ意外とやるかも。将来性あるかも?って。

誰に認められたいのかというと、不特定多数でもあるけれど、主に自分が好きな人、尊敬する人に自分を認めてもらいたいのだろう。

他人に自分の価値を見いだしているなんて、なんて情けないやつというか汚いやつやって考えてしまうけど、それが自分なんやと思った。

 

【自分の価値観 : 他人に認められたいから、自分が世間に受けると思うものを選ぶ】

 

 

そんな訳で、自分の感性や考えを表現して人に見てもらうために、写真を撮って、色々と服装工夫して、髪型や髪色いじって、料理して、ブログ書いてってやってきたんやと思う。

自分の表現がどう人に批評されるのか。あまり意図せずに確かめてきてたんやな、と。

FacebookTwitterというSNSも人と繋がる道具であると同時に、自身のマーケティングツールみたいになってたんやと思う。

マーケティングってほどカッコイイもんじゃないけど、どうすれば良いかなって反応見てたし。

 

ただ、この評価をしてもらうためのプロセスで自分のミスしてる点は、自分のセンスが!!!!ってなってしまっているところ。

料理、服装や髪型とかは雑誌とか店員さんから色々と勉強したと思うけど、写真も文章も王道を勉強してこなかった点だと思う。

茶道や武道には、「守破離」って考え方があって、型を守り、破り、離れるというプロセスがある。

自分は破る型も無いのに自分のやり方でやって、どう?って言ってたのかと思った。

 

自分を表現したいって考えるのは悪くないと思う。

悪くないと思うから今までやってきた訳で。

でも、本当に評価されたいと思うなら、まずは王道を学ぶことから始めよう。

これは他の多くの点にも言えると思う。

守破離

上のフェーズに行くには忘れられない言葉ですね。