タイムトラベラー的な

今日は世間はクリスマスムードで、辺りのイルミネーションも綺麗ですねー

どこに出かけてもカップルだらけです。

そういえば、クリスマスってキリストの生まれた日って言われてますけど、確かキリストは秋の生まれて、クリスマスはキリストの誕生日では無いって話がありましたよね。

ソースはどこか忘れましたが…

 

 

前回の記事では、失敗や批判を過度に恐れて何も出来なかった超絶びびり野郎(僕です)の事を書きましたが、今回も旅の中で気付いたことの話の続きを書きます。

 

 

僕は意外と?芸術が好きなんで、旅行中も各国の美術館などには行くようにしてます。

世界中の美術品を観る事で色んな刺激が得られて、感性も多少豊かになったかなと。

あと、城、教会や遺跡とかの建造物も観に行きますよね。

 

そうやって、様々な物を観るなかで感じるのは、自分があまりにもそれらや、訪問した国の歴史を知らなさすぎるということ。

やはりただ、それを観て楽しむだけよりも、その物が作られた経緯や、それらが作られた時代背景、人物、その時代の宗教など、多くの知識があった方が、さらにより多くの事が感じられるのだろうなと思うのです。

 

歴史を知らなさ過ぎた僕は、せっかく色々なものを観る機会があるにもかかわらず、それらのものを深く理解するチャンスを無駄にしているのかも知れないと感じました。

 

仮に時代背景を知った上で絵を見れば、もっと違う事を感じたかも知れない。

その国、街の歴史を知った上で、城や教会、遺跡などの建築物を訪れたら、また違った事を感じたかも知れない、と。

様々な所を訪れて、今まで以上に上記の様に考えるようになりました。

 

 

それに、誰かと出会った時にその人の国の歴史を知っているだけで、何を話していいのか、話しては行けないのか、歴史を知った上で質問や会話が出来るのかも知れないと感じました。

  文化も言葉も違う人同士、なかなか溝は埋められないものです。

そんな中、歴史という知識があるだけでも、多少は無駄なすれ違いや軋轢が生じることは減るのではないかと感じました。

 

 

温故知新とも言います。過去を知らないで新しい物は生み出せないと思う。

新しい物を生み出さないにしても、歴史を学ぶ事で同じ失敗を繰り返さないようにすることや、自分が体験した事がない問題にも対処する準備ができるようになるかもしれない。

 

自分の知らない事も知識として得られるというのは、時間旅行の様な物でしょうか。

 

 

学校の勉強で歴史なんか何に役立つんだ、なんて言っている人もいるだろう。

僕も歴史を学ぶ事は大切だと考えながらも、正直あまり学んでこなかった。

しかし、こんな重要なことを蔑ろにしてはいけないと改めて感じた。

 

まだ学生の皆さん、これから特に社会人になる皆さん。

もしこの文章に共感してもらえたなら。

何も武器を持たず社会に出てしまう前に、歴史という知識の武器だけでも、今から持ちませんか?磨きませんか?