日本の著作権問題を考える。世界と逆走する日本?
ちょっと前にこんなニュースがあった。
ご存知の方も多いかも知れないが、内容は
著作権団体が「音楽や映像を個人的に複製する人が増えてるから、PCやHDDの価格に補償金を上乗せしろ」
ってもの。
いやいや、これっておかしくない?
音楽や映像って購入した段階で既に著作権料払ってるよね?
二重で搾取しまっせってこと?
まあ、確かにネット上で何でもゲット出来ちゃう世の中だけども…
作ってる人を守るって意味では、確かに著作権料って必要だとも思うけども…
なんかこれは腑に落ちない(´・ω・`)
別に著作権を侵害している訳ではないユーザーまで被害を被るってことやないか!
そもそも、今の世の中ってデジタルコンテンツは無料になるって方向に向かってるんじゃないんですか?
昔、フリー ―<無料>からお金を生みだす新戦略:クリス・アンダーソン著で読んだけども。
最近の記事で、チーム・ラボの猪子さんもおっしゃってたけども。
以下、記事引用_______________________
【猪子】例をあげると、コピーライト(著作権)ビジネスがそうでしょ。20世紀までは音楽も出版もソフトウェア、あらゆる業界がコピーライトをパッケージ(複数のものを1つにすること)化してビジネスにしてきた。でも、情報化社会になった瞬間、コピーライトパッケージはビジネスにならなくなった。それを受けて、シリコンバレーの人たちは、「いままでのモデルがビジネスにならなくなるなら、次はどういうものがいいのか」と未来を肯定して、You Tubeをつくったり、音楽はライブのビジネスに移ったりするわけです。ソフトウェア産業のアップルもGoogleもコピーライトをパッケージにして売ったりしてませんよね。
【田原】でも、日本は過去にこだわると。
【猪子】だからどうするかというと、コピーライトのパッケージ化はもはやビジネスにならないのに、無理にビジネスを成り立たせようとして法律を増やしていく。そして、法律を増やしてもビジネスが復活しないにもかかわらず、さらに増やしていく。これは未来の否定だよね。
(引用元:お客と創る「世界一のデジタルアート」【2】 -対談:チームラボ代表 取締役社長 猪子寿之×田原総一朗 新しい日本のチカラ:PRESIDENT Online - プレジデント)
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確かに欧米のやり方に全て合わせろって言う訳じゃないけど、それでもこの流ればっかりは止められないと思うし、止める必要は無いと思う。
むしろ、日本も法律で雁字搦めにするんじゃなくて、自由度を高めて、そこからまた新たな道を模索する方が、世界で戦うにはいいんじゃなかろうか?
日本人は二次創作とか得意みたいだし、既存の楽曲とか動画が使えるなら、そこから新らしい何かを生み出すかもしれない。
そもそも、規制をかけまくるよりも、作品に触れてもらう機会を増やすという方が、実は認知してもらい、作品を世界に広めるという観点では良いのではないかとも思う。
それによって動くお金って、規制することで得られるお金よりも実は大きい可能性もあるんじゃなかろうか?
実際問題、どれくらいの試算なのかは調べてないので分からんけどね…
音楽や動画のコピーの話から、機会とか二次創作の話に飛んでしまったので、議論が成り立たない気がして来たけど、今の日本の流れってすごく違和感がある。
これは自分がデジタルの世界で育って来てしまったことが原因なのか、自分が作る側じゃないから、その弊害を受けてないから言えることなのか…
皆さんは、このニュースに対して、どんな感想を抱いたのだろうか?
すごく気になる。そして、どんな見方が出来るのか、教えてほしいです。
多様性・例外を認めろ。僕に影響を与えてくれた言葉の話。
今日はちょっと昔話。
今の自分を形作ってきたキッカケを書いてみる。
これが誰かのプラスになればいいなと思って。
昔、友達に言われた言葉で衝撃を受けたというか、大きな影響を与えてくれたものがいくつかある。
そのうちの1つが、
「お前は、自分の考えの範囲内のことしか受け付けられてない。だから、自分が正しいと思うこと意外を否定している。考えを拒絶している。」
ってな言葉やった。
まさにそうやなって思った。
昔の自分は、今でもそうだけど…自分がYESと思える考え以外は、本当に拒否していたと思う。真っ向から否定して、物事を多面的に見ようとせず、突っぱねようとしていたと思う。
「最近は丸くなったのか、色々な考え方を受け入れられるようになってきている」
とも、同じ人にその後言ってもらえた。
それはなんというか救いっていうか、ホンマに嬉しい言葉やった。
多様性を認める、例外を認めるってことは自分の課題やと思ってて、大学入学後はその壁に何回もぶつかってきたと思うけど、その度に悩んで、いつまで経っても成長を、変化を感じる程ではなかったと思う。
もっと色々な考え方を知って、それを許容出来るキャパが必要だと。
柔軟な考えが出来る様になれば、もっと出せるアイデアの幅を広げられたり、伸びるチャンスになるんじゃないかと思ってた。
やからこそ、いろんなバックグラウンドの人に会って、そこから何か得られるモノがないかって模索してきたし、アンテナを高くしようってやってきた。
その甲斐があったのかは、正直まだまだ実感出来てない部分もあるけど、それでもこの大学生活で自分は変化したんじゃないかなってところもある。
実際、変わったって言ってもらえることもある訳やし。
自分の欠点に気付いて、直そうとするのは、やっぱり正直簡単ではないし、それが性格的な問題やと、難易度アップって気がするけど、それでも意識して変えようとしてみるってのは、長い時間でみると意味はあるんやなーと最近感じた。
これを読んでくれてる人が、今何か自分の欠点を変えたいと思うなら、それを意識し続けることやと思う。
ただ、欠点やと思うだけじゃなくて、それをどう変えたいのか、なんで変えたいのか、それを持ち続けとくってのは、きっと自分に内から影響してくると思う。
あとは、人から欠点を指摘されたときに、その瞬間で受け入れられなくても、ゆっくりとでもその内容を受け入れてみることやと思う。
俺はまだまだ出来れないけど。
理想通りの人間にはまだまだ成れないし、一生かかっても到達出来ないかも知れんけど、こう成りたいって想いを持ち続けたいね。
まだまだ、先は長いわー
表現能力を研きながら思考力を高めようと思った
最近流行り、というか永遠の課題?の思考力。
ロジカルシンキングとか、クリティカルシンキングとか色々あるよね。
そういうものって、やっぱり普段から考えて、考えて、尚かつそれを外に出してこそ、身に付くものもあると思うんです。
やから、そういう癖をつけるというか、トレーニングになるのかな?と思ったのが、食事とかの感想を、いつもより考えて発信してみるってのが思考力を鍛えるにはいいんじゃないかと思ったのでご紹介。
ちなみに、ここでいう思考力ってのが、どのタイプの思考力に分類されるのか、イマイチ分からんので、なぜなぜ思考力とでもしときます。(ん?トヨタ…?)
普段、私たちがご飯を食べたときって、多分素直に美味しい〜とか、言ってると思うんです。
確かに、美味しいものに対して、美味しいって言ってしまうのは当たり前で、良いことだと思うんですが、そこでちょっと気をつけるだけで、なぜなぜ思考力(言っててちょっと恥ずかしい)が身に付くと思います。
予想通りかもしれませんが、やり方としては美味しい!と思ったときに、
なんでそれが美味しいと思ったのか
美味しいといってもどのような美味しさのタイプなのか
食感が好きなのか、香りが良かったのか
何が自分の琴線に触れたのかをワンクッション置いて考えることで、頭を使う訓練になると思っています。
それに、どんな味だったかなどをオノマトペを使って表現すると、表現力とかボキャブラリーが研かれるっていうメリットもあると思います。
たまに「かわいい〜」とか「すご〜い」とかしか言わない人が居ますが(笑)、流石にちょっと寂しいですよね、色々な日本語の表現があるなかでそれしか使わないっていうのは笑
だから、たまにでも良いんで、ちょっと意識してやってみるといいと思います。
まあ、毎度毎度、これはこういう食感が素晴らしいとか、香りがどうだとか、後味がどうだって言ってたら、ちょっと鬱陶しがられちゃいそうなんですが苦笑
でも、個人的には、単純な表現が出来ない人よりも、色んな表現能力を持っている人の方が、面白いんじゃないかな〜って思うので、そういう人が増えたらええのになって。
ブログを読んで下さっている方には、そろそろ私がボキャブラリー不足なのがバレてきたと思うので、自分自身、ちょっと気をつけて、普段から使える表現の幅を広げて、思考力を高めたいね^^;