最近教授と話しするなかで感じたこと(1)

最近ちょくちょくブログについて、「真面目」な内容が多いと言われます。

別に真面目なキャラでもないのにこんなことを書いてるので、真面目なんて言われちゃうと、

「ま、マジか (・ω・ ;)(; ・ω・)  (もっと軽い話題も書かなきゃ)」

なんて思ったりもするので、軽〜く読めちゃう内容を!と思ったのですが、今日もちょいと真面目な内容になってしまいそうです…

 

近いうちに、もっとフランクな記事を書こう (。-д-。)ゞ…

料理の内容でも載せようかな笑

 

で、今日の内容は

・最近教授と話させていただいてる中で、なるほどなって思ったこと

の第一弾(いや、続くんかいΣ(・□・;))です。

今日の記事はちょっとばかり、ボリューミーというか、無駄に長くなりそうです…

 

 

 

この前、飲み会の場で、教授に色々と話を伺っていたところ、国立大学が法人化したことによる弊害や今の日本の報道に関する話題が出た。

 

その教授がおっしゃるには、法人化して文科省から以前にも増して教育に関する指令が増えたと。

 

その指令とは、(酔ってたので記憶が曖昧だが)各国立大学は各々世界一を目指さざるを得ないようにされていて、うちの大学も世界一を目指しますなんて書類にサインをしないとお金が入ってこないなんて話だった。

 

昔は、予算があれば、大学の規模などにそって、ある程度均等分配されていたらしいが、今はどれだけ文科省の方針に従っているかによってお金が入ってくるか否かが決まる傾向にあるみたいだ。

 

まあ世界一を目指すってのは悪い話ではないと思うのだが、それによって短期間に研究の成果が求められるようになってしまうなどの弊害があるらしい。

 

これが何が悪いのかっていうと、研究は短期間では成果がでないものも多々ある(と、思う)。

大学は研究をする場でもあるが、教育の場でもあるわけで、研究の成果だけに拘っていては教育が疎かになってしまうと思う。

 

研究の成果だけを望むなら、理化学研究所みたいなのを増やして、そこに投資すればいいと。

 

教授陣が研究成果を出したい(これは費用面だけでなく、昇進であったり学内でのポストなんてことを考える人もいるだろう)ってなってしまうと、大学の研究室は教授が学生を研究を進めさせるためだけに使ってしまうっていう問題が起こるんじゃないだろうか。

 

そうなると研究室での学生の立ち場はただの使用人みたいなもんになってしまうので、学生自身の考える力ってのは伸びないだろうし、指示待ち人間しか生み出されないのではないだろうか。

 

実際、多くの研究室では教授に研究内容を決められて、研究の方向性なども細かく指示が出るなんて研究室も珍しくない様に思う。

 

幸いうちの研究室は、学生を研究者として育てるなどの意図があり、研究だけじゃなく教育の面でも力を入れており、研究内容は自分で決められるので、先生方は各研究に対して指示を出すのではなく、アドバイスを下さりあとは学生側で大体のことは決定出来る。

 

研究内容を自分で決めるというのは、その研究に責任を持って取り組まないといけないし、自分で考えて行動するという力も養われるので、研究を通しての教育には中々効果的なんじゃないかと思ったりもするし、このやり方には個人的には結構賛同している。

 

実際問題、研究費を得ようと思うと、企業と共同研究をしてっていうことが必要になる場合も多々あるだろうし、そうなると教授側で学生をコントロールしなくてはならない部分もあるだろうから、このやり方が全ての研究室に当てはめられるとは思わない。

 

 

 

 

話が長くなってしまったが、研究と教育の二面を持たせるというのは、中々難しいということです。

で、法人化して省庁からの指示が多いとなにがあかんのかというと、省庁の役人は確かに世の中を良くするために、色々な提案を考えてくる。

 

しかし、その中には自身の出世のために、短期的なことしか考えられておらず、長期的な目線が欠けている(もしくはこじつけられている?)こともあるため、ずれた指示が出されてしまい、現状そのずれた指示にYesと言わないと大学にお金が入ってこない状況になりつつあるそうだ。

 

まあ、この意見を全て鵜呑みにするわけにはいかんのだけど、実際省庁で活躍している方々の何割が理系の大学の研究室事情を理解しているかというと確かに疑問ではある。

文系卒だと、知識としてあっても、実情を肌感覚として理解出来ているのかは分からんのかなと思う。

 

以下の記事はとあるブログから引用した物で理系白書 この国を静かに支える人たち (講談社文庫)などを参考にしているらしいが、

 

国家公務員1種の新採用者605人のうち、理系出身者は実に55%を占めるのですが、この理系の占有率は、

「審議官」級で19%、
「局長」級で13%、
「次官」級で3%、


と、上に行くに従ってはっきり減少していくのです。
結果、全体の45%しかいなかった文系が、次官の97%を独占するのです。

こうした格差の背景には、「技官の出世は部長か、せいぜい審議官が上限」という、霞ヶ関の不文律が存在しているとのこと。

 

なんて実情もあって、やっぱりこの状況じゃ理系大学の実情を把握して、政策が決定されているとは思いがたい…

 

 

 

 

んじゃ、この問題に対してどうすればいいのか?

 

難しいね。

ただただ省庁の理系の割合を増やせば良いって訳でもないし。

そもそも理系だけを逆に優遇しようってのは違うと思うのだけども、長期的に安定して大学が研究と教育に力を入れられるシステムを作らんとあかんのだろうね。

それが難しいって話だけども。

 

大学は研究大学と教育大学に分かれているなんて話も聞くが、(教育するのは前提として)研究に力を入れる大学と教育に力を入れる大学で費用の割り振りを大きく変えていくのがいいのだろうか。

 

既にやられているかも知れないけども。

 

今はいいアイデアがないけど、今後日本をより良くするには、もっと教育に関して個々に考えていかねばならんねと改めて思ったということで、ここらで占めたいと思います。

 

あやふやなのに長くなりすぎたので反省…

 

教授との話し合いシリーズ、近いうちに第二弾もあげたいと思います。

田舎と都会の狭間で

いきなりだが、僕はとある田舎の長男で一人っ子だ

 

これは結構な悩みの種で、実家は兼業農家というやつで田んぼも畑も持っている

 

一人っ子ということはおいおい恐らくこの田畑を任されるのだろうが、今のところ農家になるつもりはないし、兼業でもやるつもりはない

 

しかし、おいそれと先祖代々(ってほど由緒のある家系でもないのだが)引き継いで来た、まあ言わば財産を放棄してしまっていいのかというと、そういう訳にもいかんよなと考えてしまうのである

 

なので最近は、どうやったら二足のわらじで行けるのかとか、そもそも自分がほとんど関与せず維持して行けるシステムはないものかと考えたりするのだが、この世の中そんなに美味しい話はないし、今まで社会に出たことも無ければ、農家として生きてきたこともないので、全然方法なんて考えついてないのだけども、いくつかこんなのどうだろうってアイデア(というには恥ずかしいものだが)がある

 

こんなところにでも書いておけば、思いも寄らぬアドバイスがもらえるんじゃ無かろうかと思って書こうと思う

 

1つは、ベタなのは田畑を他人に貸してしまうことだろうけども、農業体験ツアーとかなんとかいって企画して定期的に人に来てもらうことは可能かな?とか考えてみた

 

まあ、これは正直言って無いと思う

 

それが出来るなら世の中の休耕田はもう少し活用されているだろうし

 

仮に出来るとしたら、それこそ付加価値が必要でTOKIOが村をやってるのでそれを手伝いに、とか、AeLL. が村やってますのでお手伝いに来ます、ってやつがいるだろう

なんか例がアイドル×農業ってのばかりになってしまったが…

 

他は、太陽光パネルの設置で自然の状態に限りなく近い植物工場みたいなのをやってみるとか?(これは多分農地と登録されている土地を他の物に使うとなると手続きとかがややこしいからちょっとハードルが高いはず.農地転用ってのは難しいと聞く)

 

あとは、もう腹をくくって兼業農家でもやるか…(これはもうソリューションとして頭を使ってなさ過ぎてなんかいやだ)

いや、今のところ極力農家にはなりたくないのだ

 

とまあ、田舎の一人っ子ってのはこんな悩みを抱えているのですが、今回の投稿は本当にただの愚痴に近い物になってしまったので、 これくらいにしとこうと思うけど、実際問題こういう悩みを抱えている若者ってのは多いと思うので、今後もちょいちょい考えて行こうと思う

 

多分、こういうことを考えていかんと日本の農地って本当に放ったらかされてダメになってまうやろうし、良いことなんてなさそうだと思うのだ

 

ってことで、もし農家とか農地をどうにかしたいって意識のある方がいらっしゃれば、是非コメントをいただけると嬉しいなってことで、今日は終わります

クリエイティブであるために、必要な素養とは?

タイトルを読むと、なんだか私自身がクリエイティブな人であったり、そうなれる答えを知っているような書き方になってしまったが、実際のところ、私自身がクリエイティブかというとそうではないし、答えも知らないのだ。

 

それでも、久しぶりに時間が作れたので書こうと思う。

 

最近研究を進めるなかで、自分自身がクリエイティブな人間ではないということを、何度も認識させられて、壁にぶち当たっている。

今までも、自分自身がクリエイティブな人間だと思っていたわけではないのだが、それでも今までは、自分の雑多な知識を組み合わせて、仮説を元に提案をすることは出来ていた。(と、思う…思いたい。。。。)

 

で、ここで自分にはそういう能力がないのだと落ち込むことは簡単なんだけど、そうじゃなくて、今までとの違いが何かを考えようと思う。

 

恐らく、大きな違いは、「知識」だと思う。

 

まだ私には、研究という分野でクリエイティビティを発揮出来る程の知識が伴っていないのだろう。

今まで自分が提案して来れた領域というのは、ある程度自分自身の知識や経験があったから出来ていたということだと考えられる。

 

世の中には知識や経験が無くても、アイデアを出せる人ってのは居るのかもしれないが、大半のアイデアマン、クリエイティビティを発揮している人ってのは、対象の分野に精通しているのではなかろうか?

 

そして、アイデアを出そうとしている分野の知識があるというんは、最低条件。

 

そこにプラスαを加えようとするならば、その他の領域から何かしらの知識を持ってこれるというのが、クリエイティブな人の特徴なのではないだろうか。

 

個人的に、小山薫堂さんとか良い例だと思うのだけど、そういう人たちって色んな知識を上手く組み合わせることで、クリエイティビティを発揮しているのだと思う。

 

んじゃ、タイトルにあるクリエイティブであるための素養ってなんだろうっていうと、

僕の仮説では

・無駄な知識なんてないと思って広く知識を集めること(知識欲・好奇心)

・色々な知識を組み合わせること、試行錯誤を楽しむこと(想像力・妄想力とか?)

かなと思います。

後者に関しては、組み合わせることっていうその人の能力的な部分も影響してしまう面だと思いますが日々のアウトプットで練習してみるということ、あと前者も意識次第でどうにかなるんじゃないでしょうか?

 

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アイデアのつくり方

あ、こういう本もあるので読んでみるといいかも知れません。

これは結構オススメです。

 

クリエイティブでありたいと思う方々。

こんな仮説なんですが、いかがでしょう?

 

僕は今後も色んな知識や経験を積み重ねて行くことを楽しんで行きたいと思います♪